なにをいまさら…

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「姨捨の棚田」と「鉄道最高地点」~青春18での車窓からの景色を散策

2022年5月長野の旅、終盤です。いろいろ廻って姥捨SAでちょっと休憩。青春18きっぷで旅をしていたのを思い出します。列車からの車窓も素晴らしいけどSAからも良いですね。そして上山田温泉で一泊。今年のGWは一泊1万円越えっぽい。当時はかなり安く泊まれたはず。。。

少しだけ早起きをして姨捨の棚田へ。駐車場もあるので観光での棚田見学がしやすいです。

ここから帰路へ。長野自動車道-中央道か上信越道ー関越の乗ってしまえばいいんだろうけど渋滞も凄いし、自宅のある小田原へは圏央道経由で遠回り。山梨から東名にでるか、御坂越えのほうが渋滞ストレスの少ないか?いろいろと考えているうちにずっと下道でwwwまあ次回の旅の予習にもなるし。。。

いろんなところ立ち寄りながらのんびりドライブ。ここ小海線からの車窓で見たなぁ。って思っていたらいきなりの電車通過。思いっきりのピンボケ。ピント合わせてたら電車行っちゃいました。しっかりと観光地化もされていたところ。トイレも多くあります。ここらは清里あたりの凋落もあり閑散としていましたが。

でも、のんびりとできたので満足です。青春18きっぷでの旅もいいし、こうやってのんびりドライブも気持ちいいですね。

DATA  

この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical
フォクトレンダー SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Aspherical III E-mount

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ

松代大本営地下壕

長野市松代町は、江戸時代は真田家ゆかりの松代城の城下町、明治になると製糸業が盛んだったところ。太平洋戦争末期には本土決戦に備え松代大本営の地下坑道が造られた。。。

松代大本営の近くに国内での民間初のフランス式蒸気器械製糸場「六工社」の跡地があります。松代から3人を官営富岡製糸場に派遣、約2カ月間滞在して器械製糸を学んだ後に「六工社」へ。そのうちの一人『富岡日記』の著者、和田英は製糸場の「教授」に就任し、松代の製糸業に貢献したと。

六工社」の跡地の近くにある戦争遺跡松代大本営。3か所から掘り進んでいたようですが、象山地下壕が一部公開されています。では中を見学しましょう。全員ヘルメット着用です。

足場も悪くサンダルだと危ないでしょう。

公開されているのは本当に一部のようです。金網越しに金網の先にも続いています。一部案内もありました。

ここまでです。。。

象山地下壕の入口付近には歴史館があります。市や県が運営ではないので、展示内容が少し偏っているかな?参考にはなりますが。(GoogleMapのクチコミも逆の意味で偏っているのもあります。。。)伝承やインタビュー中心の展示なのでそこから何を感じて何を考えるのかはそれぞれ。入口の市の看板やHPはこう記載されています。

この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、様々な意見があります。

 

松代大本営地下壕は3エリアありますが、舞鶴山地下壕は一部公開と別の活用をされています。旧大本営舞鶴山地下壕跡が気象庁 松代地震観測所となっています。地下壕が地震研究に活用されているとのことです。

2層の建物がありますが、山肌に密着しています。地下壕につながっているそうです。一部近くに寄ることができます。天皇御座所。仮の皇居となる計画でした。外からでサッシ越しですが一部を見ることができます。

天皇御座所の前にある謎の穴。この松代大本営は大日本帝国陸軍において推進されたものです。では海軍はというと、ここから直線で10kmくらい離れたところに、「大本営海軍部壕」の計画がありました。ここには「大本営海軍部壕資料館」があるようです。地元の人々は「海軍がこんな山奥に穴掘ってるなんてもう戦争も終わりだな」って思ったとか。この資料館は後で知ったので近いうちに行ってみます。

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この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ

松代の町並みをぶらぶらと

真田家ゆかりの地、長野県長野市松代町。松代城と美しい城下町です。

寺社も多いです。

町の中心には松代城址

南アルプスまで見渡せます。堀や土塁も残されています。

松代は、真田家と幕末の佐久間象山のゆかりの地、また近くには川中島と歴史好きにはたまらないところです。今回は資料館等はあまり廻れていませんが、少し歩くだけでも興味が湧く町並みです。

松代城址のすぐ近くには、旧松代駅。バス停、タクシー乗り場はそのまま。現在は観光案内所にて、ホームあたりが駐車場になっていますが、駅舎は残されています。2012年に廃線になった長野電鉄屋代線の駅舎なのです。

線路跡はいまは駐車場、ここは2013年にも訪れていて、その時はホームや一部線路や施設も残されていました。その時の写真です。

廃線後10年以上たっても駅舎が活用されているのは素晴らしいですね。

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この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ

戸隠神社の門前町宿坊群

戸隠神社の宿坊群も重伝建です。宿坊群としては初で唯一らしいです。とはいっても平成29年のこと。私の勝手な想像ですが地元の方々はあまり興味なく、市とか県の偉い人が勝手に盛り上がって重伝建にしたんじゃないかな?昔から雰囲気は全然変わってないし、ほかの地域の宿坊が多いエリアでも重伝建になれるんじゃないの?まあ重伝建にすれば、へんな外資が入ってきてリゾート地や高層ホテル建てられなくなるのはいいかな?そもそも国立公園地域だったと思うので道路の拡張もできないし勝手な開発もできないので。。。
???だらけだけ。町中には案内が無いので文化庁の資料をもとに、重伝建エリアらしいところを廻ってみました。

まずは宝光社から。

 

続いて中社へ。

 

かなりの夕方に着いたので駆け足で廻りました。10年くらい前に来た時は奥社までお詣りに行った。GWだったけど雪がかなり残っていた印象。いまは体力的に厳しいかも?鍛えてもう一回行きたいな。。。その際には宿坊に泊ってみたいですね。

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この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ

北国西街道稲荷山宿、朽ちていく重伝建。

今度は北国西街道。この道も中山道から北陸道を結ぶ街道。またの名を善光寺西街道、いやこちらも善光寺街道とも呼ばれてるようで、かなり混乱してきました。信濃は山あいを通るので、都市部に向かうのはいろいろなルートがあったのでしょう。
北国西街道稲荷山宿、地域の観光案内では「旧街道蔵のまち 稲荷山」と紹介されています。江戸時代においては北国西街道(善光寺街道)の最大の宿場町として栄え、明治以降は生糸と絹織物の商いの町として栄えたと。では現代はどうでしょう?まずは古を知るために資料館へ。

なるほど。ここで地図を入手して散策です。車もここの駐車場に停めさせてもらっています。

では江戸の痕跡を探します。本陣跡ですね。

町割りも昔のままでしょうか。続いて明治以降へ。高村家別邸です。

現在は土塀が残されています。すでに2018年に家屋解体が進められ、今どうなっているかというと。。。えっ?ん~。。。

じゃ蔵のまちっていうんだから蔵めぐりしてみよう。

どこも保存状態が良くない。。。いろいろと大変なのでしょうか。

これは興味深い町並みです。重伝建ではあるけど観光地でない。ここにはリアルな町並みがあります。

ここは料亭?

私の幼少期は多くあったイメージ。なんかリアルな懐かしさを感じます。

近代建築風は活用されているようですね。

いや~実に面白い。国指定の重伝建にはなっているけど、地元住民がすべて賛成しているのではないのですよね。たぶん。そんな重伝建もいくつか見てきました。ここは伝統的な町並みの、現実的な変遷を感じることができるところ。あと数年後どうなっているのか?かなり興味あります。もし、このブログが続いていたら、ぜひレポートします。

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この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ

北国街道海野宿

北国(ほっこく)街道って、wikiによると、北陸道の別名にて、旧国名で言うところの若狭、越前、加賀、能登、越中、越後および佐渡を指すと。江戸になると琵琶湖東側から米原くらいまでも北国街道と呼ばれていたとも。
今回の舞台の北国街道は中山道追分宿から直江津までの道路で、善光寺街道とも呼ばれ、善光寺への参詣のために整備された街道のことになります。
その北国街道の海野宿。入口には白鳥神社。ここから海野宿の町並みが始まります。おそば屋さん並んでますね。メニュー見てるだけ?街道に宿場用水があります。右側(北側)は古くからの街路で、左側(南側)に拡幅して用水路と前庭をともなう補助路としたようです。明治以降、水路は石積になり、また、もう少し中心寄りだったようで、北側も少し拡張されたようです。

本陣跡馬の塩なめ石「海野格子」江戸時代の「本うだつ」明治時代の「袖うだつ」見所もけっこうあります。海野宿の町並みは、江戸時代の宿場町として、また明治以降は養蚕業でかなりの賑わいを見せていたのでしょう。

しかし、今は、人がいない。地元の人がいない。観光客がいない。空いてるお店がない。なんか映画のロケセットを見てるような感覚になります。

コロナ明け直後とはいえ、5月の観光シーズンですよ。ちょっと奥に行くと野ざらしの旧車が。。。

ちょうどこのころ、TwitterかなんかのSNSで、観光客のいない観光地で、別の意味で話題になってましたよね。海野宿。

海野宿は現在の長野県東御市(とうみし、と読みます。。。)初めて訪れた市だけどピンとこない。無料の観光駐車場にはこれが。そして雷電爲右エ門。こちらもwiki情報ですが、通算黒星が10個、勝率.962の大相撲史上未曾有の最強力士の生誕地雷電がらみは生家など市内に幾つかあるようなので次に訪れた時には探してみよう。

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この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ

中山道「木曾平沢」

前回紹介した「花沢の里」は静岡県唯一の重伝建地区。重伝建地区が一番多いのは石川県8か所、次が7か所で長野県と京都府です。ということで長野をご紹介しましょう。
いままで長野エリアの中山道木曽路のいくつか巡っていましたが、1昨年のGW、奈良井宿のすぐ隣にある「うるしの里 木曽平沢」に訪れてきました。

naniwoimasara.hatenablog.com

ここも重要伝統的建造物群保存地区。江戸の時代からの漆工町です。旧中山道沿いにはいまも漆器店が軒を連ねています。宿場町でもあったようですがお隣の奈良井宿とは1里程度の距離です。

お店の前に車が止まっています。おそらくその家の車。大火があったときに、防火で道を広げるために家々が後ろにズラされた土地を、自宅の駐車場として使っているのでしょう。アガモチと言われているようで"吾が土地"のことらしいです。(ここが情報元:

https://tokimeguri.jp/wp_cms/wp-content/uploads/2021/03/teku2_.pdf )

ここの町並みではちょっと珍しい建物。ステンドグラスも美しそうですね。

個性的なお店もあります。

この集落はほとんどが堂々とした2階建て。うだつも家々で違いますが、2階の手すりや格子が凝っています。

後継者の育成も自治体を中心に行われてるんですね。今回ここに車は停めさせてもらいました。(大丈夫だったのかはわかりません。。。)車は木曽漆器館に停めるのが正規なのかも。あと、お隣の中山道奈良井宿~漆工町木曽平沢間で重伝建周遊バスもあるようなのでこちらの利用も便利ですね。

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この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ

花沢の里 ~「焼津市花沢伝統的建造物群保存地区」

静岡県唯一の重要伝統的建造物群保存地区、花沢の里。日本坂トンネルを出てすぐのところにあります。古い町並みよりもハイキングコースとして有名なようで、入口に大きな無料駐車場があります。町並み散策もここに車を停めるようです。

ここから歩くこと数分、重伝建地区である山村集落に入ります。

石垣と板張りの家々が続きます。新緑に映えて美しいですね。

いくつかの民家は長屋門造りなっており、2階が住居や倉庫になってるようです。

このお宅も傾斜を利用した面白い作りになっています。

途中に水車小屋があります。見学ができました。

だいぶ登ってきました。ここから先はハイキングコース。奥には砂防堰堤。集落は安全に守られています。見下ろすと民家の屋根が見えます。法華寺。立派な山門です。そして仁王像。

さあ下りましょう。

神様が宿る「オシャモッツアン」という岩。歯の神様だそうです。ハイキングコースは江戸街道以前の旧の東海道。山頂からは富士山も見えるそうです。花沢の里、観光地化されていないので、山村集落の雰囲気を感じることができます。良いところですね。

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この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ

東海道25番目の宿場町「日坂宿」

よく言われる東海道三大難所は箱根峠、鈴鹿峠とここ小夜の中山の峠越え。(静岡エリアでは薩埵峠、宇津ノ谷峠。。。)24番目の宿場町「金谷宿」から「小夜の中山」の峠を越えると25番目の宿場町「日坂宿」です。

急な坂であった小夜の中山からなだらかなになってくると旅籠など家々が密集してきます。火除けの秋葉常夜燈がありました。そして本陣跡本陣の隣には問屋場。人馬、飛脚の中継地点ですね。脇本陣跡屋号がかなり残されています。

酒屋さん。

藤文。日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七の自宅だそう。

屋号は藤文。この土蔵は藤文蔵と呼ばれています。明治4年(1871年)郵便制度が発足すると同時に、日本最初の郵便局のひとつとなった建物とも。ここは煉瓦造りの建物もあり明治を感じさせます。

旅籠「萬屋」庶民の泊まる旅籠だったとのこと。
旅籠「川坂屋」こちらは身分の高い武士や公家なども宿泊した格の高い旅籠屋であったことのこと。 いまは資料館になっていますが、閉館時間にきてしまい見学ができませんでした。ちなみに隣に駐車場があり、資料館の方が、町並み見学で少しの時間だったら停めていいよ、って好意で駐車させていただきました。

法讃寺相伝寺。ここにも秋葉常夜燈。火事が多かったのでしょうか。


高札場跡

下木戸跡

宿場町の出入り口は川とこの橋が門の役割をしていたとのことです。

風情のある町並みでした。静岡の東海道で建屋と街道沿いの雰囲気が残されているのは、今回巡った4か所くらいでしょうか?どこも地域が一体となっていて素晴らしいですね。

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この日の機材

SONY α7 IV
SIGMA(シグマ) 24-70mm F2.8 DG DN | Art

 行った日

2023年1月

 

 行ったところ

東海道の難所「宇津ノ谷峠」宇津ノ谷集落と4世代のトンネル

東海道20番目の宿場町「丸子宿」から東海道21番目の宿場町「岡部宿」の間にある東海道の難所「宇津ノ谷峠」があります。(静岡では)薩埵峠と並び東海道の難所といわれております。宇津ノ谷峠のふもとには宇津ノ谷集落が立ち並びます。
宇津ノ谷集落へは、国道1号沿いにの上下それぞれにある道の駅宇津ノ谷峠に車を停めて歩いて向かうことができます。脇道に逸れて、旧国道一号を歩いていきます。

すでに屋号のついた家々が並び始めました。ここからが江戸時代の東海道です。

集落には、屋号のついた家が並びます。

この峠道は、豊臣秀吉の小田原攻めの軍を通すために整備された道とのこと。もともとは伊勢物語にも詠まれた「蔦の細道」が街道の峠道だったと。東海道の峠道を開いたお礼にと秀吉から「お羽織屋」に陣羽織が贈られたそう。ここに保存されているらしいです。ここまではなだらかでしたが目の前に階段が見えてきました。かなり急な勾配です。

集落はこのあたりまでのようです。かなり登ってきました。江戸時代はここから峠越えです。ここを歩いていたんですね。

少しだけ歩いてみます。

この先に行くと、ほんとに峠越えになるので戻りましょう。

明治になってもここは交通の要所。でも技術の進歩でトンネルが掘られました。日本で最初の有料道路とか。このトンネルは今は無料ですが、しっかりと残されています。
明治のトンネル。レンガ造りで荘厳ですね。

そして、大正時代。道幅も広がります。旧国道1号のトンネルとして今も使われています。これが大正のトンネルです。更なる技術の進化で宇津ノ谷峠の麓で長いトンネルが掘られます。さらには国道1号の拡張で2本のトンネル。奥が昭和のトンネル、手前が平成のトンネルです。伊勢物語の平安時代から戦国、江戸時代、そして明治、大正、昭和、平成と歴史を感じることができる素晴らしい場所ですね。

DATA  

この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ