学園祭シーズン、女子大におっさんひとりで乗り込んできました。
入口の案内にはこのように書かれています。
この地は、江戸時代の旧陸奥仙台藩伊達家下屋敷跡。明治になって旧鹿児島藩主島津家公爵家の屋敷。このあたりは「島津山」と呼ばれている。清泉女子大がこの地に来たのは昭和37年とのこと。
さて学園祭で盛り上がっている構内に入りましょう。でも、ここから先の学校構内は撮影禁止です。
ただし、ここだけは写真OK!今回の女子大訪問の目的でもある、清泉女子大学本館として活用されている旧島津家本邸です。
ジョサイア・コンドルにより設計、大正6年に建てられた「旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館」。国の重要文化財に指定されています。清泉女子大の敷地内にて、現在も大学の学びの場として使用されています。
上の写真は旧島津家の事務棟(現在は大学の3号館)。こちらも同時期に建てられており、こちらも国の重要文化財です。学校関係者以外は、中には入れないようです。
では重要文化財の「旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館」をご紹介しましょう。まずは外観をぐるりと。




バルコニー側庭園へ入りましょう。じつはこの松が見事です。




では建物の中へ。
公開されているのは春と秋だけなので、ここだけは建築に興味のあるおっさん、おばさんがいっぱいwww(若い人もいますが。。。)








階段の手摺や暖炉の彫刻、天井の漆喰装飾やステンドグラスは、ほぼ当時のままの姿で残されているとのことです。





2階ではオープンキャンパスの一環での高校生保護者向けの説明会が行われていました。いまも教室などで活用でされているんですね。赤本っていまもあるのにちょっと懐かしさが。。。



2階バルコニーには出ることができないようなので内側から。
各部屋は教育の場として活用されているようです。ただ島津公爵の生活の場は公開されていないのか、別の目的としてリフォームされたのかはわかりません。結構非公開の場所もありました。
ここから1号館に繋がっているようです。
少し庭園へ。建物前の芝生広場は学生も多くいたので写真は撮っていません。
推定樹齢約200年といわれる品川区指定天然記念物の「ふうの木」。
「島津山」の頂上へ。東屋もありました。おそらく東京湾も見えたことでしょう。明治天皇の休憩所跡、大正天皇の休憩所跡がありました。


庭園としても素晴らしい。「おにわさん」のサイトにも紹介されていますね。
ここは通行止めですが階段があり、出入り口の門に繋がっています。
この洋館はジョサイア・コンドル設計の邸宅建築のうち最晩年のものの一つとされています。大正時代に建てられたこの洋館そしてこのエリアは昭和恐慌、戦争にて、島津家は日本銀行に売却、戦後一時GHQに接収、後に日本銀行に返却という運命をたどってきています。昭和36年には日本銀行から清泉女子大は譲り受けています。
この重厚で歴史ある建物を大切にし、さらには活きた教材としても学習に活用しているのは素晴らしいことですね。そして私たちも直接触れる機会を頂けることにも感謝です。
DATA
この日の機材
LEICA M10-P
フォクトレンダー Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4
行った日
2026年11月
行ったところ

































8月に報国寺へ参拝のときに旧華頂宮邸にも足を運びました。








通常時は外観と庭園の公開になっています。







照明器具が素晴らしいですね。










寄木が高級感を醸し出しています。









なんか鎌倉っていうことを忘れそうですが、ここにもやぐらがあります。(もしかすると防空壕?かなにか?)
気が付いたら閉館時間を過ぎていたようです。
なんか、上を見ているか下を見ているか、はたまた外を見ているかの写真ばかりになってますねw。少ないとはいえ、見学者は結構いました。また混雑を予想していたので50mmしか持っていなかったので、ちょっと限定された写真に。。。

天平5年(733年)、行基によって開かれた龍潭寺。平安時代から続く井伊家の菩提寺として歴史のあるお寺です。近くに井伊谷城もあり、広大な敷地があったようです。
山門をくぐると武骨な石垣がありました。
仁王門。(拝観ルートはちょっと違いますが。。。)





鐘楼
紅葉シーズンは、より一層美しそうです。





本堂へ。この木彫は左甚五郎作。

















奥には、井伊家歴代墓所があります。
龍潭寺とは違い、伊勢神宮の様式のような神明造です。
井伊谷宮。
奥に史料館がありました。古代の出雲大社高層神殿のような造りです。
だいぶ、ぐるぐると歩きまわっていて、位置関係を確かめるために、一度境内の外へwww
絵馬がかわいい。
ここの境内には日本絵馬史料館があるようです。(このブログために地図みていたら見つけました)残念、次の訪れたときに立ち寄りましょう。
出身が浜松引佐なのかな?と調べたら、陸軍中野学校二俣分校出身で、陸軍中野学校時代に、井伊谷宮の御祭神である宗良親王の「どれほど苦境に立たされても決して諦めずに戦い抜いた不撓不屈の精神」を学び、心の拠り所にしていたとのこと。(宗良親王は南北朝時代に後醍醐天皇の皇子として、東国における南朝方の征東将軍となり、この井伊谷の地を拠点に数十年にわたり不撓不屈の戦いを続けたとのこと。)陸軍中野学校二俣分校もさほど遠くないので訪れてお参りをしていたのでしょう。1974年にルバング島から帰国した小野田少尉は、かつて自らの精神的支柱となった宗良親王を祀る井伊谷宮を訪れ、その縁から境内に記念の植樹を行った時の記念碑だそうです。
山門をくぐり国指定重要文化財である仏殿へ。
ここの仏殿は写真OKっぽいです。
東京国立博物館の東洋館で見るような仏像が並んでいます。


こちらも国指定重要文化財である方丈へ。
御朱印もこちらのようです。
綺麗なお庭です。

日本のお寺でみる仏像とは少しお姿もお顔も違うような。
報恩堂
龍文堂
龍文堂をお参りをしてから、「金鳴石」を叩くと願い事が叶うと云われています。ということで「金鳴石」を目指しましょう。
ご利益ありそうな手水舎です。

この「金鳴石」を叩いて、綺麗な澄んだ音が鳴ると金運アップ!
いい音がなったので、お金持ちになれるかな?











境内の様子を。昔は多くの伽藍があったようです。









中門
綺麗に作庭されています。
宝仏殿。ここの中は撮影禁止です。(ただ申し訳ないが地方の郷土博物館的な展示でした。もうちょっと見やすく整備してもらえるともっと良いかとは思いますが。。。)


見事な銀杏の木です。
一応、ここだけ説明板がありますが、読めませんでした。。。
家康の好物であった大福寺納豆や浜松近くということもあり、徳川の息もかかっているので、江戸時代っぽいお寺ですね。
高麗門。これは秀吉の朝鮮出征のころに建てられています。豊橋の吉田城の城門だったとか。家康の時代にここに移築されたとのことです。
門をくぐるとゴツゴツとした岩々が。
石仏も並びます。

津島神社
本堂へ。本堂のお参りだけだと無料ですが庭を散策のために拝観料があります。






大黒さまもなんか可愛い。
古いお寺なのでちょっと傷んではいますが、これがまた味があります。








いろいろな角度から撮ってみました。
景色が変わりそれぞれの美しさがあるので見ごたえがあります。





いくとこ、いくとこ羅漢さまがいらっしゃいます。






五百羅漢どころではなさそう。。。見つけるのが楽しいのです。




これも羅漢さま?

この先は奥山半僧坊大権現。あとで纏めてご紹介します。





天狗もいれば、笑顔が素敵な恵比須様も。


ちょっと奥へ。まむしに注意らしいです。

奥の院までかなり登りそうな気配だったので戻ります。
木彫は、岩五郎作。岩五郎?日光東照宮で有名な左甚五郎の孫弟子らしいです。孫とはいっても甚五郎は江戸初期、岩五郎は江戸後期から明治期と300年位の差がありそうですが。。。ただこの彫刻は素晴らしいのはわかります。





大きなお寺はまさにテーマパークの様相ですね。なんか心がウキウキするところですよね。ここも楽しかったです。
この大正12年に建てられた三重塔のエリアに駐車場がありました。
すっかり夜。学橋を渡るところからです。
ステージ前に集合です。


小田原ちょうちんも大小あちこちに。












圧巻ですね。








『建長寺』という大きなお寺でも90mmではさすがに苦戦。。。
鐘楼



仏殿は修復中なので、法堂へ。






方丈へ。ここは中に入ることができます。


得月楼。周りの木々も含めてのおにわです。









虫塚。この先に隈研吾デザインのオブジェっぽい構造物がありますが、ヨガの人がいて近寄れず。。。
やぐら
おーい、お茶プレゼンツ、桜。


