1923年(大正12年)9月1日関東大震災。帝都東京に甚大な被害をもたらしました。
政府は、翌日には復興事業を担う内閣総理大臣直属の機関として帝都復興院を設立。帝都復興院の総裁は、内務大臣の後藤新平(元東京市長)が就任、後藤を中心に「帝都復興計画」を立案しました。
計画は、最初の案では30億円、40億円だったともいわれていますが、最終的には4億6,844万円にまで削減されたものの、近代的な都市計画手法を初めて取り入れるなどの成果を残し、後の戦災復興計画にも影響を与えました。復興計画に基づき、主に焼失区域において、街路、橋梁、河川、運河、公園及び土地区画整理等の事業が行われ、今日の東京にもつながる社会資本が整備されました。
特筆すべき点は、後藤新平が目指したのは【復旧】ではなく【復興】であるということ。震災を機に東京を大改造し、災害に強く、さらに欧米に負けない近代都市にすること。当時の不安定な世界情勢もあり、欧米列強の脅威に屈しない国づくりの一環だったといわれています。
復興事業は今日の東京を支えています。現在も東京の幹線となっている道路、例を上げると昭和通り、靖国通り(当時は大正通り)、永代通り、晴海通り、八重洲通りなど。橋梁も今も使われていますし、地下鉄も当時に計画された路線と現在もほぼ同じになっています。
社会資本において教育も重要なひとつで、当時の東京市は復興小学校として木造ではなく災害に強いRC造で117校を建設しています。
(これらは東京都復興記念館に詳しくありました。上記の写真2つも東京都復興記念館の展示になります。)
学校建築は教育施設という制限はありましたが、当時のモダニズム建築の流行もあり、志向を凝らしたデザインの校舎がありました。また、インターナショナル・スタイル(国際建築様式)と呼ばれる装飾性の少ない機能主義的な建物もあり、昭和初期の学校建築には二つの傾向があったとのことです。広尾小学校の銘板にも記載がありました。
近年において学校は少子高齢化もあり統廃合が多く、また老朽化や耐震工事等での建て替えもありましたが、今日までも、改修を重ねながらほぼ当時の姿を継承しつつ活用されている校舎もあります。そんな校舎を見て回ってみました。
まずは東京市15区の5校です。
【泰明小学校】
昭和 4 年(1929)竣工
東京都中央区銀座5丁目1−13




【九段小学校(旧上六小)】
大正 15 年(1926)竣工
東京都千代田区三番町16



【常盤小学校】
昭和 4 年(1929)竣工
東京都中央区日本橋本石町4丁目4−26


【東浅草小学校(旧待乳山小)】
昭和 3 年(1928)竣工
東京都台東区東浅草2丁目27−19




【黒門小学校】
昭和 5 年(1930)竣工
東京都台東区上野1丁目16−20




現役の小学校なので中に入ることはできません。外観だけでも歴史と雰囲気を味わうことができますね。つぎは再活用されている校舎をアップしてます。
DATA
この日の機材
SONY α7R V
LIGHT LENS LAB M 28mm f2.8 周9枚
行った日
2025年3月4月