前述したように、東武熊谷線(妻沼線)は熊谷から妻沼までは開通したが、利根川を越えることができませんでした。これは物資不足でもあった戦時中の2代目根津嘉一郎が社長のころ。初代根津嘉一郎は東武伊勢崎線で羽生から利根川橋梁で利根川を越え路線を延ばしています。根津嘉一郎というと東武鉄道のイメージが強いのですが、南海はじめ20社以上の鉄道会社の経営に参加、鉄道王と云われる所以ですね。ほか実業家として、保険、電力、石油、ビールなど200を超える様々な事業の創業や参画をしていきます。特に公共事業、インフラ、教育は、渋沢栄一を団長とする渡米実業団の一員としてアメリカへの視察旅行に参加し、影響を受けて粉骨砕身で尽力しました。そして「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という信念のもと寄付や社会貢献に全力を注ぎました。
初代根津嘉一郎の実家である根津家も社会貢献にて、山梨市に寄贈され、いまは、無料で公開されるようになりました。謎の扉。銅像があったそうですが、戦争で。。。
入口から左の蔵つくりの建物は資料館になっています。ここに根津家、根津財閥のことをいろいろと知ることができます。貴重な資料も多く興味深く見させてもらいました。また山梨の学校に数多く寄付をした根津ピアノも置いてありました。(ここの内部は撮影NGでした)では主屋へ。
玄関内です。
入り口が、旧主屋と再建された青山荘と両方あり、ちょっと迷います。どっちから入ってもいいみたいです。渡り廊下からは旧主屋を一望できます。
障子のこだわりが良いですね。
2階へ。書斎がありました。
欄間の彫刻も美しい。
キッチンへ。水回りも。
再建されたという青山荘へ、
庭を散策。富士山が見えるらしいですが、この日は見えず。正面の別荘があった大磯から移植されたそうです。熱海の起雲閣も根津嘉一郎の別荘でしたね。
DATA
この日の機材
LEICA M10-P
フォクトレンダー Voigtlander APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical VM
行った日
2024年4月
行ったところ