なにをいまさら…

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ワイン王国勝沼を築いた宮崎光太郎「宮光園」と山梨ワインの歴史

山梨が世界に誇れる山梨勝沼のワイン。歴史を見ると明治時代に遡ります。
さらに日本の歴史を遡ると西洋ワインはザビエルの献上品から始まり、布教活動において信長、秀吉、家康にも献上され、キリスト教信仰者も嗜んでいたようです。その後は江戸幕府の鎖国が続きましたが、開国から西洋文化が入り込み、ワインも貿易品となり、明治になると、日本国内での生産も開始されるようになりました。いろいろな方が生産に試みますが当初はなかなかうまく行っていなかったようです。
明治政府も支援していきますが、特にぶどうの産地である山梨では、山梨県権令藤村紫朗の指導で県立葡萄酒醸造所大日本山梨葡萄酒会社を設立。藤村紫朗は、このブログでも紹介していますが、擬洋風建築「藤村式建築」の学校を山梨県内各地に建てて教育を普及していきました。この教育には根津嘉一郎がピアノなどの寄付で支援もしており、山梨は新しい文化をいち早く取り入れる地域でもあります。
しかしながら県立葡萄酒醸造所はうまくいかず、宮崎光太郎が引き継ぎ、フランスにワイン造りを学ぶために留学していた土屋龍憲と高野正誠とともに、民間会社としを再スタートさせます。

葡萄酒醸造開始の地が記念碑として建立されています。また日本で最初のワインセラーも残されています。

その後、甲斐産葡萄酒醸造所とし、販売会社として東京に甲斐産商店(のちの大黒葡萄酒株式会社、オーシャン株式会社)設立。製造と販売の両輪を動かしていきます。その製造の地となったのはやはりここ勝沼。この歴史は、ここ宮崎光太郎の邸宅でもあった「宮光園」に詳しく展示がされています。

昭和天皇や皇族もご視察に来られています。

「宮光園」は宮崎光太郎の自宅でもありました。

大黒ワインの大黒様の後ろは白藏。Wikiによると「白ワインを作っていたから白蔵という。地下はワイン貯蔵庫になっている。ちなみに「赤蔵」という建物はない(赤ワインは造っていた)」とのことです。

ブランデーを蒸留するための煙突。ブランデーも製造していたのですね。

「宮光園」の向かいにはメルシャン株式会社 シャトー・メルシャン勝沼ワイナリーがあります。ワインギャラリーとショップです。戦後、日清醸造、三楽、そしてこの地で生まれた宮崎のオーシャン(大黒葡萄酒)の3社が合併してメルシャンが発足しています。

同敷地に旧宮崎第二醸造場があります。いまはシャトー・メルシャン ワイン資料館になっています。


このあたりは車ではない交通手段で来てみたいです。美味しそうなワイン目の前にして一滴も飲めないのだから。。。
 

DATA  

この日の機材
SONY α7R V
フォクトレンダー NOKTON classic 35mm F1.4 II SC VM

 行った日
2023年3月

 行ったところ