古の時、熊野古道の宿場町であった紀州湯浅。湯浅湾に面した静かな町です。
醤油が湯浅で造られるようになった歴史は、
覚心(法燈国師)が、建長6年(1254)に宋から金山寺味噌の醸造方法を伝えていますが、醤油造りはそれからまもなくのことでした。
味噌造りをしていくうちに、味噌桶の上部や底に、赤褐色の汁が溜まることに気づいたのです。好奇心旺盛な職人がいたのでしょう、指先にその汁をつけてなめたのでした。
驚いたことに、汁は旨みがあり、塩味や甘みや発酵の香りがある、芳醇で独特の風味をしていたのです。
湯浅の味噌醸造家は、金山寺味噌づくりをする傍ら、この赤褐色の汁に期待をかけながら研究し続け、醤油ができたのでしょう。その後、湯浅の港から大坂に向けて、船積みされてゆく数は年々増え続けました。
また、江戸時代には徳川御三家紀州藩の保護を受け、町の中心産業として醤油屋は栄え、人家1,000戸の湯浅に92軒の醤油屋が軒を並べていたと伝えられています。
また、この時代には漁場を開拓するため多くの漁民が房総半島に移住し、銚子や野田などに醤油醸造も伝わったとのことです。
和歌山県有田郡湯浅町(http://www.town.yuasa.wakayama.jp/)町のHPのトップ画像も美しい湯浅の町並み。重伝建にもなっている湯浅の町並みを散策してきました。
ここは魚屋のようです。暖簾が可愛い。
ここは歯医者さんみたい。
町屋のいくつかに歴史のある品が展示されています。これもちょっと興味が湧きます。
町並みに戻ります。
醤油についての展示館は2つほどありましたが、こちらは写真OK。もう一つはNGでした。中には醤油醸造の歴史を学ぶことができます。
港の近くには。恵比須神社。船も奉納されていました。
再び町並みへ。通りから小路に入ると通りの違う趣きがありますね。
繁栄は続いているので、近現代の建物もあります。
1,2時間もあればざっと散策できると思います。
ちょうど今、ひな人形が飾られていました。ちょっと長くなってしまったので面白かった甚風呂と雛人形は次回にアップします。
DATA
この日の機材
SONY α7RⅡ
フォクトレンダー COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII VM
行ったところ