なにをいまさら…

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草津温泉のアナザーストーリー

2024年のGW、まずは草津温泉へ。4月26日金曜日の夜からの訪問。さすがの有名温泉地、人が多いです。

今の町長、変なトラブルに巻き込まれてしまっていたけど、活気のある湯畑に力を入れていて、今の草津の盛り上がりに一役かっています。湯畑が美しくなっています。この景色と温泉で癒されますね。町も協力的なんでしょうね。お土産屋さんや、食べ物屋さんも夜も営業しています。ほかの温泉街だと夜は飲み屋くらいになってしまいますよね。

そして朝の風景。

上の写真の右側の洋館風の建物が草津のみどころの一つです。湯もみショーは朝一の回から行列でした。1回のショーは20分超くらいなのですが、やはりこれは見ておきたかった。そして見ると感動w草津に来たっ!て思います。

このブログタイトルが「草津温泉のアナザーストーリー」ですが、町長にまつわる元議員の虚言騒動のことではありません。とあるきっかけから結核やハンセン病について調べていて、草津がハンセン病に纏わる重要な場所の一つと知りました。
草津は古くからの湯治場で、草津町の公式?な見解では、鷹狩で通りかかった源頼朝がこの温泉を発見したという言い伝えがあり、それが湯畑前の白旗源泉らしいです。ほかの説では神話の時代との説もあるようで、吾妻(あがつま)や嬬恋(つまごい)の地名に繋がっているとか。。。
皮膚病の効能がある草津温泉は、戦国時代、大谷吉継が湯治に訪れているという記録があり、吉継はハンセン病者だったと言われています。明治以降には湯ノ沢地域にハンセン病者が湯治のために移住してきて街を興していました。ただ生活は苦しかったようです。そこに宣教師として来日していたイギリス人のコンウォール・リー女史が、草津のハンセン病患者に私財や寄付金により生活困窮者の救済にあたりました。草津には、リーかあさま記念館が建てられております。中は撮影禁止ですが、リー女史の足跡やハンセン病への支援について展示されております。ビデオもありますが記念館の方が詳しく説明をいただきました。向かいにある聖マーガレット館は非感染児童のための養護ホームでした。

湯ノ沢地域のハンセン病者は国の「癩(らい)予防法」の制定により栗生楽泉園に移住させられます。栗生楽泉園の中ではある程度の自由があったとされています。また湯畑の1本は栗生楽泉園へ湯樋が通されています。ただその工事は自分自身で行ったとのこと。実際には苦労があったことと、自由とは言いながらも、規則は厳しかったようです。懲罰用の建物もあり、正式名称を「特別病室」といいました。

 「重監房」とは、群馬県草津町にある国立療養所栗生楽泉園の敷地内にかつてあった、ハンセン病患者を対象とした懲罰用の建物で、正式名称を「特別病室」といいました。しかし「病室」とは名ばかりで、実際には患者への治療は行われず、「患者を重罰に処すための監房」として使用されていました。

この負の歴史を残すために重監房資料館があります。ここも撮影禁止でしたが、高さ4mのコンクリで囲まれ窓のない狭い部屋が再現されております。ほかにも過去の間違った歴史、そしてハンセン病への正しい理解をすることの展示があります。かなり時間をかけて資料を見てまわりました。

現在は重監房は取り壊され基礎だけが残されています。

 

草津の桜は、東京より1か月くらい遅いらしいです。ちょうどきれいに咲いていました。。。

その土地土地には華やかさ、哀しさなどいろいろな歴史が積み重なっています。そんな思いに浸りながら次の目的地へ向かいました。。。

DATA  

この日の機材

SONY α7R V
フォクトレンダー MACRO APO-LANTHAR 65mm F2 Aspherical
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical

 行った日

2024年4月

 行ったところ