島原城や武家屋敷に立ち寄っていたので原城に着くのが遅くなってしましました。島原の乱の舞台となった原城。国道沿いに駐車場があったので停めて城址散策へ。予想以上に、はるかに広い。。。一揆軍3万7千ものキリシタンや農民が籠城となるとこのくらいの広さも必要ですね。水、食料も必要ですが、住居も必要です。竪穴住居もあったようです。
本丸方面へ。天草四郎時貞。一揆のリーダーです。私と同世代であれば、沢田研二エロイエッサムですねw
もともとは戦国の城址。固い守りです。
一応わかりやすい写真を選んだつもりですが、ぱっと見は同じような広場が何枚もあるって思うかもしれません。戦国の廃城はこんな感じになってしまいますね。林田アナ最終回のブラタモリでは流石、地層の話までされていましたね。なんと阿蘇の火砕流だとか。林田アナからは雲仙では?と言っていましたが私も雲仙の火砕流が積んでできた地形だと思っていました。
あの小高い丘などを砦にして幕府軍が周囲を取り囲んでいたそう。3万7千の一揆軍は、のちに老人子供までも皆殺しにされ、壊滅をさせられたそうです。次にどうしても天草に行きたかったので、原城の滞在が短時間になってしまいました。
現地案内のタブレット貸し出しやレンタサイクルもあるようで、もう少し余裕をもって来たかったところでした。もし次に南島原に来るチャンスがあればじっくりと廻りたいところです。史料館などもあるようだし。
自分への忘備録の意味も含めてリンク張っておきます。
DATA
この日の機材
SONY α7RⅡ
SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN | Art
行ったところ