歴史の教科書にも出てくる平戸。ザビエルが平戸に上陸したのが1550年、織田信長はキリスト教布教を容認、ザビエルは平戸では2年3か月の布教活動だったにもかかわらず、のちに各地に広まっていきます。その後、豊臣秀吉の九州平定にて平戸を松浦氏が治めるようになり、さらに1587年バテレン追放令、1599年平戸城を築城されています。天守は後付け観光用だと思いますが、場所は同じところ、向きは九州のほうを向いています。国内の敵から守ることもあっただろが、背後は朝鮮半島、海外からの敵の壁にもなっていたことでしょう。麓には商家だったであろう城下町の雰囲気も残ります。
平戸藩の藩主であった松浦家の屋敷跡、現在は歴史史料館になっています。
スペイン人であったザビエル、信長の時代はスペイン、ポルトガルとの貿易が中心でしたが、秀吉のバテレン追放令の後、家康はオランダ、イギリスと貿易を始まります。平戸にはオランダ商館が建てられました。今は跡地として公園になっています。倉庫は復元されています。
大ソテツ。オランダイギリスの東インド会社と貿易していた貿易商の庭にあったとか。樹齢も400年以上!
ウィリアム・アダムス(三浦按針)もイギリス商館を平戸に建て貿易を行います。そして平戸で病死。。。横須賀の安針塚も有名ですが、ここ平戸にも三浦按針の墓があります。(今回は行けませんでしたが)その後、貿易は長崎出島に移ってきます。
さて、ザビエルに関するものでも平戸ザビエル記念教会や像があちこちに建てられています。
平戸の中心地のあちこちに像があるのですが、歴史の道という足湯がある所には、平戸に関わりのあるスペイン、イギリス、朝鮮、そして日本といろいろな国やいろいろな時代の所縁の人物像が建てられています。今の平和の時代だからこそできることですね。
さて、平戸。今でこそこの平戸大橋を車で渡ることができますが、この橋が1977年ができる前までは船でしか行くことができなかったようです。いつの時代もこんな夕日を見ていたのでしょうか。
DATA
この日の機材
SONY α7RⅡ
SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN | Art
行ったところ