原城から天草へ。陸路で行こうとすると佐賀まで廻って熊本廻って4,5時間くらいかけて行かないと着きません。私は南島原市口之津港から天草鬼池港までは30分くらいのフェリーを利用しました。昔から船の移動は多かったのでしょう。
天草の外海沿いに車を走らせるとイルカウォッチングの案内があちこちに。見てみたいな~。途中途中も見所が多くちょこちょこ立ち寄っていました。
少し内陸に行くと丘の上には大江教会。近くまで行きたかったけど日が暮れそうなので先を急ぎます。
GoogleMapでは天草市﨑津集落ガイダンスセンターとなっていますが、道路の案内板では道の駅﨑津となっており観光駐車場にもなっているようです。そこで地図を確認して町並み巡りをしました。
まずは海を挟んで﨑津集落と﨑津教会が見える教会公園となっているスポットへ。車も停められます。
漁港を廻り集落へ。案内板では集落内にも小さな観光駐車場がありましたが一杯で先の漁協組合直売所に停めることができました。ここには恵比須様の西宮宮があります。
少し町並みを散策します。
一見すると普通の漁村ですが、ここに潜伏キリシタンの歴史が刻まれているのです。資料館があります。少し知識を入れておきましょう。
ここはイチジク発祥の地。無花果ではなく南蛮柿と表記されています。天正遣欧少年使節が持ち帰ったのが起源のようです。
天草はキリシタン大名である小西行長が支配、天正遣欧少年使節はキリシタン大名の大友氏が送り込んで、西洋の文化を持ち帰っています。その後のバテレン追放令、島原の乱により潜伏キリシタンとなって密かに受け継がれてきています。ここは吉田庄屋役宅跡。潜伏キリシタンの見張り役だようで、踏み絵も行われていました。後に禁教が解かれ、同じ地に﨑津教会が建てられました。
諏訪神社。1647年に創建にて﨑津集落の鎮守です。ぱっと見、よくある日本の神社なのですが、﨑津の潜伏キリシタンは、この神社の氏子となり参拝の際には密かにおらしょを唱えていたとのことです。
境内からは教会が見えます。
実はこの神社の参道には旧﨑津教会があり今も残されています。
日本古来の宗教も西洋からのキリスト教もこの地では時代の波に飲み込まれながらも共存共栄してきたことがよくわかります。ここはお寺の山手にある墓地なのですが、それが良くわかります。ちなみにこのお寺の御朱印は仏教、神道、キリスト教が一つになった御朱印らしいです。
海上のマリア像(ちょっと小さいですね)の夕日。残念ながら雲が。。。貝殻に願い事を書いているようですね。
ここも世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つです。でも世界遺産=観光地ではないんですよね。世界的な遺産として守っていきたいところです。でも過疎化も進んでいるようなので自治体や住民だけでは苦労も多いかと思います。世界遺産として予算が付いたり知名度が上がったりすることで、外からのお客さんがいろいろ食べたり買い物したりと収入面も上がってくるかと思います。いわゆるリゾート地的な観光地ではなく、静かに訪れて、いろいろと応援をしていきたいですね。
今回の天草の滞在時間は実質半日。かなりもったいなかった気がします。もっともっと時間かけて、いろんなところに行きたかったし、美味しいもの食べたかった!
おまけ。
天草のレインボーブリッジ、牛深ハイヤ大橋。
DATA
この日の機材
SONY α7RⅡ
SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN | Art
行ったところ