『生野銀山』ここも歴史は古く、1200年以上前に開山、室町時代に本格的な採掘が始まり、戦国の世には信長・秀吉の直轄地に。江戸時代においては幕府天領として、さらに明治においても政府直轄の官営鉱山として、永らく日本の財政を支えてきている。その後三菱に払い下げられ、昭和48年(1973年)に閉山した。三菱は今もなおこの地で三菱マテリアルとして事業を継続している。
そんな歴史をもつ三菱マテリアルを通り過ぎて生野銀山に向かいます。入口に到着しました。菊の御紋の立派な石門。ここにも1円電車。明延鉱山から神子畑選鉱場までの区間ではありましたが、神子畑の鉱山は生野銀山の支山。大きな鉱脈があるようです。そしてこの一帯は日本遺産『鉱石の道』として生野、神子畑、明延、そして中瀬と地域を盛り上げています。
明治政府はフランスからの鉱山技師を招いており、いくつかの史跡も残されています。坑道入り口もフランス仕様で。いまは観光向け坑道の入り口です。
坑道の中は観光坑道として整備されています。江戸時代採掘と近代採掘と混在していますが、なかなか面白い。
ここにも日本酒、ワインの熟成貯蔵庫がありました。
金があるようです!!!
これは江戸時代の細い坑道。人が一人入れるくらいですね。鑿(ノミ)で掘り進んだようです。昔は大変でした。
近現代はダイナマイトで。
機械で岩盤を削り
坑道内の移動や運搬もエレベータ。
江戸から近現代はかなり進化していますね。
生野銀山はあちらこちらにマネキンが。。。
こんなことまでw歌手デビューしているようで出口付近では歌が流れていましたwww
最後はトロッコ軌道跡を歩きながら出口です。
ここ入り口を入ると、坑道内コースと坑道外コースと別れていました。坑道外コースは露天掘り跡も見学できるのですが、徒歩30分との事で、時間の都合で今回はパス。。。
観光地にもなっている鉱山はマネキン等とパネルやテープでの解説、いくつかありますね。でも坑道自体は当時のものにすこし整備してあるだけなのでリアルな体感することができたような気持ちにもなります。ここを見たうえで、明延での生の体験を聞いたり神子畑の廃墟を見学するとより良いのでは。ここ生野銀山は観光施設だけあってお客様も多くいます。ぜひ『鉱石の道』を盛り上げてほしいですね。今回、3か所廻ることができたのはともて感慨深いものがあり、感動でした。
このあたりはちょうど紅葉も始まっていました。ちょっと長くなってしまったので、生野の町並みは次回へ。。。
DATA
この日の機材
SONY α7RⅡ
フォクトレンダー ULTRON 35mm F1.7 Vintage Line Aspherical VM
行ったところ