さて3カ所目の広島の重伝建。
呉から安芸灘大橋を最初に計4つの橋を島から島へ4つの島を渡り継ぎ、大崎下島にある御手洗地区へ。安芸灘とびしま海道っていうんですね。この次の島は愛媛県、でもそこまで。もうちょっとでしまなみ海道ともつながるのに。。。広島県としてはあとは愛媛県に任せたって感じなのかな。
この安芸灘とびしま海道で車を走らせていると、呉市内の喧騒さから比べると流れもスムーズだし、それぞれの島々は静寂の時が流れています。気持ち良い時間です。メインの駐車場が一杯だったので近年堤防工事等で拡張されたと思われる道を通り第2駐車場へ。両方ともさほど広くないのですぐに一杯になってしまいます。ただこの道を通っただけで町並みの素晴らしさが伝わってきてワクワクでした。観光案内所らしきところで案内図を入手し散策。一応メイン通りと小路とわかりやすく書いてあるけど、ほぼ江戸時代のそのままのようで全部道が細くて、どれが大通りかもよく分からず、しかも真っすぐではないので何回も同じところ行ったり来たりしていました。御手洗は、江戸時代より潮待ち、風待ちの良港とされ、瀬戸内海を航行する北前船や幕府の交易船など多くの船が寄港し港町として賑わいました。
ここの見どころの一つ「若胡子屋跡」。
近年では町の公民館のような施設で使われていたようで、主に港町の歴史の展示です。ちょっとしたステージもあり耐震工事等で鉄骨がむき出しになっていますが、昔は違っていたようです。江戸時代の若胡子屋は待合茶屋。御手洗は多くの船が寄港し船乗りたちにより賑わいを見せていましたが、もちろん花街もあり最盛期には遊女や芸妓を100名以上抱えていたようです。当時の豪華な造りの名残もあります。
2階に登ってみました。ちょっと薄気味悪い部屋がいくつかありました(非公開の部屋もあるようです)。遊女たちは、江戸時代には当然今のような橋は無かったので、いろいろな思いで船で渡って来たのでしょう。自由もなく逃げ出すことも出来ずといろいろと考えてしまいます。。。
「おはぐろ伝説」という悲劇があり、血染めの手形がうっすらと見えるとか、霊が映し出されたという鏡があるとか。。。先ほどの庭には慰霊の墓石もあるようです。ちなみに町のちょっと奥においらん公園というのがあり、そこには遊女の墓石が並んでいるそう。。。
ちょっと気分を変えて、まちなみ保存センターに立ち寄ってみましょう。ここには近年の生活者の歴史がありました。
いろいろな生活の側面を感じることができる『御手洗の町並み』。ちょっと長くなりそうなので、ここまで。後編に続きます。
DATA
この日の機材
SONY α7RⅡ
SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN | Art
行ったところ