知覧特攻平和会館、陸軍の知覧飛行場の跡地に建てられています。知覧飛行場は「大刀洗陸軍飛行学校知覧教育隊」でしたが、戦況の悪化から昭和19年から特攻基地になったとのこと。残されている正門も門柱の書はそのままでの記載のようでした。
いまは特攻に関する遺品などが展示がされています。
写真撮影できるのは、鹿児島湾で昭和55年6月に引き揚げられた海軍の零戦のみ。
展示の中心は遺影と手紙や遺品など。何回来ても辛い気持ちになります。
知覧の特攻隊については本、テレビ、映画などで有名になっており、観光客?も多く訪れています。この日も多くの人が訪れていました。実際に手紙等にふれるとやりきれなくなってきますが、知覧がこれを観光資源としているのも事実。美談で終わらせることのないよう、語り継ぐというのを続けていく必要がありますね。私自身も時々訪れて実際に自分自身で考えるようにしていきたいと思っています。
敷地には慰霊の灯篭がありますが、周りの道路などあちことに灯篭が建てられています。
これは映画で使われたもの。いつも思うけど、これ必要?
隊員たちが暮らした三角兵舎。復元ですが、ここで訓練と出撃命令を待っていたと思うと辛くなります。(実際の場所はかなり離れた所にありました。)
知覧飛行場は終戦時には進駐軍に壊されたようですが、周辺にいくつか戦争遺産が残されています。これは給水塔。防火水槽。いわゆるシラス台地。この平坦な土地のかなりのエリアが飛行場施設でした。旧陸軍知覧飛行場特攻機発進の地碑。知覧飛行場戦闘指揮所跡。奥に三角兵舎跡の看板があります。掩体壕跡。
重伝建にもなっている武家屋敷知覧麓の近くにある、ホタル館 富屋食堂。いまは「特攻の母」こと鳥濱トメの資料館です。残念ながら休館でした。
ここも古そう。
知覧は知覧茶で有名だそう。茶畑も多くありました。知覧特攻平和会館の周りとは打って変わって、とても静かな時間が流れています。
DATA
この日の機材
SONY α7RⅡ
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical E-mount
行ったところ