こんぴらさんの話、前回ちょっと書ききれなかったので続けます。
「一生に一度はこんぴらさん」金刀比羅宮へのお参りは、伊勢神宮のおかげ参りと並びこんぴら参りは江戸時代の一大イベントだったようです。
金刀比羅宮の絵馬堂には航海安全祈願として船や航海にまつわる絵馬が奉納されています。
奉納プロペラのあります。
金刀比羅宮は結構内陸の山の中腹に在ります。なぜここが海の神様なのでしょうか?
金刀比羅宮は大物主神(おおものぬしのかみ)が祀られていますが、『古事記』『日本書紀』に大物主神(おおものぬしのかみ)は海の彼方から出現されたと記されてあります。また、大物主神は「蛇」の神様にて、水や海に所縁の深い神様なのです。
瀬戸内海は古くから海上交通の要衝です。奈良時代平安時代の遣唐使も難波津から瀬戸内海を通り航海しています。(写真は平城宮跡歴史公園にある遣唐使船)
瀬戸内海において塩飽諸島が古代から海上交通の要衝でした。源平合戦においては海上交通の重要性から海上でのいくさも多くあり、古くから塩飽諸島は操船に長けた島民が住んだと考えられています。島民は海の神様の金刀比羅宮を信仰していました。塩飽諸島の船乗りは時代の有力者に認められ大いに繁栄していきます。その後、船乗りたちが「こんぴらさん」の旗を掲げて全国各地を廻り、信仰が広がり、金刀比羅宮が海の神様として広く知れ渡ったと推測されています。
瀬戸内海は 潮の流れが速く安定しているので海上交通には好都合だったようです。ただ水深が浅いところもあり、平清盛以来、海底を削って大型船が出入りしやすくしています。(夜の写真ですが関門橋あたり、門司側から壇之浦方面を見ています。)
また、金刀比羅宮がある象頭山は、文字通り象の頭のような形をしています。瀬戸内海からは船乗りたちの格好の目印となり、神秘的な山の形が、船乗りさんたちの心の支えとなりました。
これらのことから、金刀比羅宮は、『古事記』『日本書紀』の時代、奈良時代、江戸時代とつながり、海の神様となったようです。
現代においては、こんぴらさんのすぐ近くには海の科学館があります。中にはないらなかったのですが周りにもエンジンや船にまつわるものが展示されています。
色々なところに旅していますが、ほとんど思い付きでピンポイントでの訪問です。でも後あとからでも、いろいろと調べて、このような繋がりがわかると楽しくなりますね。
DATA
この日の機材
SONY α7s
SONY Vario-Tessar T* FE 16-35mm F4 ZA OSS
SONY FE 70-300mm F4.5-5.6 G OSS
行ったところ