なにをいまさら…

α7RII/α7IV/α7RV/M10-P/レンズ/写真/風景/夜景/町並み/さまよい/さすらい/日常

松代大本営地下壕

長野市松代町は、江戸時代は真田家ゆかりの松代城の城下町、明治になると製糸業が盛んだったところ。太平洋戦争末期には本土決戦に備え松代大本営の地下坑道が造られた。。。

松代大本営の近くに国内での民間初のフランス式蒸気器械製糸場「六工社」の跡地があります。松代から3人を官営富岡製糸場に派遣、約2カ月間滞在して器械製糸を学んだ後に「六工社」へ。そのうちの一人『富岡日記』の著者、和田英は製糸場の「教授」に就任し、松代の製糸業に貢献したと。

六工社」の跡地の近くにある戦争遺跡松代大本営。3か所から掘り進んでいたようですが、象山地下壕が一部公開されています。では中を見学しましょう。全員ヘルメット着用です。

足場も悪くサンダルだと危ないでしょう。

公開されているのは本当に一部のようです。金網越しに金網の先にも続いています。一部案内もありました。

ここまでです。。。

象山地下壕の入口付近には歴史館があります。市や県が運営ではないので、展示内容が少し偏っているかな?参考にはなりますが。(GoogleMapのクチコミも逆の意味で偏っているのもあります。。。)伝承やインタビュー中心の展示なのでそこから何を感じて何を考えるのかはそれぞれ。入口の市の看板やHPはこう記載されています。

この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、様々な意見があります。

 

松代大本営地下壕は3エリアありますが、舞鶴山地下壕は一部公開と別の活用をされています。旧大本営舞鶴山地下壕跡が気象庁 松代地震観測所となっています。地下壕が地震研究に活用されているとのことです。

2層の建物がありますが、山肌に密着しています。地下壕につながっているそうです。一部近くに寄ることができます。天皇御座所。仮の皇居となる計画でした。外からでサッシ越しですが一部を見ることができます。

天皇御座所の前にある謎の穴。この松代大本営は大日本帝国陸軍において推進されたものです。では海軍はというと、ここから直線で10kmくらい離れたところに、「大本営海軍部壕」の計画がありました。ここには「大本営海軍部壕資料館」があるようです。地元の人々は「海軍がこんな山奥に穴掘ってるなんてもう戦争も終わりだな」って思ったとか。この資料館は後で知ったので近いうちに行ってみます。

DATA  

この日の機材

SONY α7 IV
フォクトレンダー APO-LANTHAR 35mm F2 Aspherical

 行った日

2022年5月

 

 行ったところ